これは、一つのことを成し遂げる際に、やっておかなくてはいけない習慣のひとつです。
やるべきことをやらないで、漠然と何かを望んでいるだけでは、引き寄せの法則というような都合の良いことは働かないと思います。
私の小さな成功体験をお話しましょう。
大学受験のために1年間英語を真剣に勉強したことがあります。多くの学生がそうであるように、試験成績を合格レベルに持っていくのが大きな目標でした。高校は職業高校でしたので、多くの学生は進学をせずに就職をする学校です。英語の科目が極端に低レベルの学習内容でしたので、そもそも普通科の学生の勉強レベルとは格段の違いが有りました。教科書そのものがまったく違うのです。
必然的に、7段階あるレベルのうち、1段階からのスタートでした。具体的に言いますと、模擬テスト(今で言うプレテスト)の成績が、200点満点中わずか30点しか取れなかったのです。それもほぼまぐれでとれた点数であることは私も承知してました。その当時、それ(大学受験)は私としては気の遠くなるような高い目標であったのです。
今から思うと不思議ですが、私は必ず達成できると信じておりました。毎日の単語の暗記と、長文読解を少しずつ取り組み、一年後、志望校の合格レベルまで引き上げることができました。
これは、ひとつは、体操の練習経験があったことがあげられると思います。
なんでもそうですが一般的にスポーツは特に練習の計画性が大きなウエイトをしめています。目前に目標とする技があるとします。その動きを繰り返し身体に叩き込む練習を繰り返します。足らないことがあれば、補う運動をして、身体を作り上げていきます。
ひとつのワザをマスターするのには、何時間も同じことを繰り返さなければならない。
つり輪の練習を初めて経験した時のことです。床のタンブリングとちがい、それは異質の世界でした。
経験したことのあるひとはわかりますが、そもそもつり輪の上に上がれないのです(笑) そうするとどうなるかと言いますと、ただひたすら、ぶら下がるだけの''無様な格好を、一日続ける''ことになります。これを何日も繰り返すわけです。先輩のような華麗な演技は、雲の上の仙人のワザだと強く思い知らされます。安易に入部した新人の多くは、この時点で退部していきました。たぶん華麗な体操競技にあこがれたのでしょう。
私はなぜかやめませんでした。 体操選手としては大成できませんでしたが、私はこの時大切なことを学びました。やめてしまった人と、やめずに続けた自分との違いは何か?
それは、この練習が何につながっていくものか明確にイメージできている人であるか、ただやらされているだけだ、という不満を持っているだけの人であるかの違いです。
そういう漠然とした日々の積みかさねだけでは、成功することは稀であることが、今ならわかります。私は、先輩のように華麗に演技できるようになりたかった。
この時の教訓
やはり強烈な目標意識というものは必要だということです。
ただし、それが、やらされてするものではなく、自分の意志と責任で、強く望むこと。
課題を淡々とやり続ける。
そういうシンプルな習慣を自分のものにすること。